おもしろ化学史

おもしろ化学史 page 49/60

電子ブックを開く

このページは おもしろ化学史 の電子ブックに掲載されている49ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
常識をくつがえした発明電気を通すプラスチックを開発した白川英樹プラスチックは紙や木と同じように電気を通さない絶縁体、というのが、かつての「常識」でした。この常識をくつがえす電気を通すプラスチック、ポリ....

常識をくつがえした発明電気を通すプラスチックを開発した白川英樹プラスチックは紙や木と同じように電気を通さない絶縁体、というのが、かつての「常識」でした。この常識をくつがえす電気を通すプラスチック、ポリアセチレンを世界で初めて開発したのが白川英樹(1936~)です。いまでは、電気製品などに、電気を通さないプラスチックが絶縁材料として使われている一方で、帯電防止材料や電池、発光素子の材料として電気を通すプラスチック(導電性高分子)が使われています。金属光沢をもつプラスチック白川英樹は東京に生まれました。中学生のときに、そのころ登場した塩化ビニルなどの合成高分子に興味をもち、卒業文集に、将来は大学に入ってプラスチックの研究をしたいと書いています。そして夢を実現する一歩として東京工業大学に進学しました。白川がポリアセチレンの研究を始めたのは、東京工業大学で助手になったときでした。ポリアセチレンはアセチレンを化学的につなぎ合わせ(重合という)長い鎖状の高分子にしたものです。アセチレンの重合に初めて成功したのは、チーグラー‐ナッタ触媒の開発者の一人ジュリオ・ナッタでした。しかし、ナッタのつくったポリアセチレンは不溶不融の黒い粉末で、取り扱いづらくて使い道がありませんでした。白川はアセチレンの重合反応機構に興味をもっていました。ある日、一人の研究員が、重合実験を行う際、加える触媒の濃度を間違えて実験をしてしまったらしく、実験は失敗してしまいました。実験は「失敗」でしたが、反応容器を見た白川は、そこに薄い膜ができ触媒n CH≡CH CH=CH CH=CHアセチレンポリアセチレン白川英樹(筑波大学提供)ているのに気づきました。この失敗をヒントとして実験法を改良し、ポリアセチレン薄膜の合成法を確立しました。もしかしたら、触媒の濃度の単位はmmol/lなのに、mol/lと勘違いして、1000倍も濃い触媒で実験をしたのかも知れません。ポリアセチレン薄膜は美しい金属光沢をもっていました。白川はすぐ抵抗計で電気伝導度を調べましたが、測定器の針は動きませんでした。転機となったのは、東京工業大学を訪れたペンシルベニア大学のアラン・マクダイアミッドとの出会いでした。このフィルムに興味を示し、共同研究を提案したのです。白川はこれを受け、1976年、ペンシルベニア大学で、物理学者のアラン・ヒーガーを加えた3人で共同研究を始めました。そして以前に見つけていたポリアセチレンにハロゲンをドープ(添加)すると赤外線を全く通さなくなるという不思議な現象と導電性が関連しているかも知れないという以前から温めていたアイデアを実行しました。ポリアセチレン薄膜に電極を付けて容器に入れ、臭素を加えると、すぐに抵抗計の針がふれ始めて、抵抗がどんどん下がりました。世界初の電気を通すプラスチックの誕生でした。この業績で3人は2000年にノーベル化学賞を共同受賞しました。ポリアセチレンは、単結合と二重結合を交互に繰り返した構造をもっています。それゆえハロゲンを加えると電気伝導性を示すようになります。ポリアセチレンと同じような構造をもつ高分子が、導電性高分子をして、その後たくさん合成されました。導電性高分子は、いまでは二次電池や電解コンデンサー、発光素子などの電子材料として幅広く使われるようになりました。電子材料といえば金属や半導体などの無機物という「常識」をくつがえした点でも、電気を通すプラスチックの発見は画期的でした。47